100 最終電車



 まるで、ドラマのような光景だった。
 駆け落ちでもするみたいに、好きな子の手を引いて。
 後ろから聞こえる駆け込み乗車禁止のアナウンスなんて聞こえなかったふりをした。
 駆け込んだ最終電車はがらがらで、私たちは目の前の椅子に大きなため息をつきながら、重力に抗うこともせずどさっと座り込んだ。
 心臓は物凄い速さで脈打ち、深く息をすることさえ許してはくれない。
 お互い無言のまま数秒が過ぎ、先に声を発したのは彼女の方だった。
「もう…あんなに急がなくたって…よかったのに…」
「だってこれを…逃したら…歩いて帰るしかないんだから…しょうがないじゃない…」
 息も絶え絶えな会話だった。
 改めて車内を見まわすと、どうやら私たち以外の乗客はいないようで、がたんごとんと規則的に走る車輪の音が心地よく空間に響いていた。
 またそれから私たちは少しだけ無言になって、電車のリズムに心臓の鼓動が合いはじめた頃、今度は私の方から口を開いた。
「…もしあのままこの電車に乗れなかったら、線路を辿りながら歩いて帰るしかなかったよ」
 ちょっと意地悪に言ったつもりだったが、
「それもそれでいいね。スタンドバイミーごっこ、なんて」
 彼女はまだあの熱気に当てられて夢心地でいるのか、うっとりとした表情で言った。
 私と繋いでいた反対側の手には、青緑色にビビットピンクのフォントでバンド名の入ったタオルを握りしめている。
 彼女曰く、メジャーデビューしたてのバンドではあるが、インディーズ時代から熱狂的なファンがかなりいるバンドらしい。
 例に漏れず、彼女もその熱狂的なファンの一人である。
 今日はそのバンドのメジャーデビュー後初のライヴに彼女と行ってきたのだった。
 ライヴ自体はそう遅くならないうちに終わったのだけれど、その後近くの喫茶店で興奮気味の彼女の語りに付き合っていたら、こんな時間になってしまったというわけだ。
 親になんて言い訳しようと悩んでいる私と正反対に、彼女は上機嫌だった。
「いやー、でも本当に今日のライヴはよかったねー」
 他に乗客がいないのを良いことに、手に持っているタオルをくるくると彼女は回す。
「そう、だね」
 ぎこちなく返事をした私に対して、彼女はこちらを覗き込みながら、
「ん? 初めてのライヴで疲れた?」
「そんな感じ、かな」
「確かに私もちょっと疲れたかも…」
 はふ、と小さくあくびをした彼女の瞳はすでにとろんとしていた。
「でもうれしいな…こうやって同じバンドを好きな人と出会えて…一緒にライヴ行けて…」
 段々と声がフェードアウトしていき、私の肩に寄り掛かるようにして彼女は眠りに落ちて行った。
「…天使みたい」
 顔にかかっている髪の毛をそっと指で払って、起こさないように小さな声で彼女に話しかける。
 これは、愛の告白でもなんでもない。ただの懺悔だ。
 すうすう、と寝息を立てながら安らかな顔で彼女は寝ている。
「私、あなたにいっぱい謝らなくちゃいけないの」
 最初からなにもかもが嘘だった。
「本当はこのバンド好きでもなんでもないの。それどころか…」
 それどころか、本当は邦楽なんて欠片も好きじゃなくて。
 ただ彼女と接点を持ちたくて、話したくて、友達に、いやそれ以上になりたくて、ずっと嘘を吐いていた。
 始まりは、彼女の机に置いてあった音楽プレイヤーをこっそり見て知った好きなバンドを、私も最近好きになったんだ、と掃除の時間に話しかけてから。
 あれ以来、私と彼女の仲は積み重ねた嘘の上で成り立っている。
 さっきまで二人で行っていたライヴだって、大音量の音楽が耳にがんがん響くし、熱気のせいで肌はべたつくし、ちっとも楽しくなかったけど。
 それでも。
 隣で楽しそうに飛び跳ねる彼女の笑顔は今まで見た中でも一番かわいくて、綺麗で。
 こういう音楽も悪くないかな、と少しだけ思った。
「起きたら本当の事、全部言うね」
 謝ってもしも許して貰えたら、最初から彼女に全部教えてもらおう。彼女が愛している音楽の事を。
「…あなたの事が好きです」
 今はまだこうしてずるい告白の仕方しかできないけれど、いつかはきっと。



如月さつめ @kisatume



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