054 都



 この街に引っ越してきた時に、一番嫌いになったのは、この夜空だった。
 学校の帰り道。すっかり日が落ちるのが早くなったのを、腕時計をチラ、と見て感じ、ついた溜息が、白く流れていくのを見て感じる。
 都会の夜空は、闇夜ではない。暗く濁った藍色の青空だ。闇になりきれない夜なんて、夜じゃない。
田舎の夜空が懐かしい。と、引っ越してきた時のように最近、よく思う。それは、今、私が中学3年で、人生の岐路に再び立っているからだろうか。都会の方が大学は多いし、成績も、こうやって塾に通ってる成果もあってまぁ、悪くはない。進学先はいくらでも選べるだろう。就職も探せば見つかるだろう。しかし、前に住んでいた田舎にも大学はある。嫌いな夜空が広がる都会に住み続けるか、あの懐かしい暗い夜の広がる田舎に戻るか。
 嫌いといえば、私は都会の夜景が嫌いだ。いつまでもオフィスや看板のネオンがキラキラと輝き、不夜城の如く灯りが消えない事はない。大通りを一つ外れれば、派手でくだらない大人の店があちらこちらに点在する。昼間は眠っているそれが、夜になれば輝き出す。夜は休む時間だというのに。今、こうやって歩いている道にもそんなお店が点在している。できるだけ避けているのにも関わらず。
 都会の人も苦手だ。背広を着た人たちは、無表情で毎日毎日満員電車に詰め込まれては、運ばれていく。ただひたすら忙しそうに走っている。特に嫌なのはキラキラした派手な女たちだ。携帯片手に甲高い声でくだらない事をいちいち大声で叫んでいる。私の周りも、高校に入るとあんなのばかりなのだろうか、と考えると溜息しか出ない。また、息が白く流れて消えていった。
 そういえば、とふと思い出す。
私の嫌いな女。あの人は――と言っても、年は2つくらいしか離れてないけど――キラキラしたものが大好きだ。髪だけは大人しい黒髪なのに、爪には凶器みたいに鋭くて長い、妙にキラキラした爪をして、耳にはピアス。市内でも、校則が厳しいと有名な学校に入学したというのが、最初は信じられなかった。彼女は私によく言う。
「涼夏も、もっと着飾ればいいのに。輝くよ、きっと」
 くだらない、と思う。なにが輝くよ、だ。
 と、そんな嫌いな女の事を考えていた為なのか何なのか。その嫌いな女を見つけてしまった。道は一本道で、路地裏に逃げ込めそうもない。話しかけられないようにと、巻いていたマフラーに顔を半分埋め、道を睨めつけながら過ぎようとしたが、試み虚しく、いつもの甲高い声で叫ばれた。
「おぉい、リョーカー!」
 子供じゃないんだから、大声で人の名前を叫ぶなと思う。そんな呪いを込めながら、しぶしぶ彼女を見る。
「雨香、さん。なに、やってるんです。こんなとこで」
 水面雨香。今、私が入っている部活の元先輩だ。なぜか入った当初からよく絡まれ、電話やらメールやらを爆弾のように送りつけて来て、返事しきれなくて無視してたら更に絡みが激しくなって、彼女が高校に入ってからは、なんだかストーカーのようになってきた。出来るだけ避けている筈なのに、今のように偶然出会ってしまう事が最近、また多くなってきた。
 それも、こんな嫌いな夜の道で、だ。
「敬語なんて、しなくていいのに」
 少しだけ唇をすぼめて、雨香が言う。
 それが、なんだか妙に気に食わなくて、イライラして、声が自然鋭くなってしまう。
「だから、なんで、こんな、とこで、なにを、してるかって、聞いてるんです!」
「おっかないなぁ、りょーかちゃんは」
 大袈裟に雨香は肩をすくめる。
「私の事なんかより、なんでりょーかもこんなところにいるのよ? 子供が通る場所じゃないよー」
自分だって、子供のくせに。雨香のそんな言葉や行動の一つ一つが、なぜか気に障る。こんなに、イライラする必要なんてないはずなのに。
「私は、塾の帰りです。ここが近道なんですよ」
「近道だからって言っても、今度からここは止めときなさい。危なっかしいからね」
「雨香だって、子供じゃない!」
 つい、怒鳴ってしまった。
 いつまでも、保護者みたいに。上から目線で。
 もう、私達は何の関係もないはずなのに。
「やーっと、敬語なしに呼んでくれた」
 しまった、と思う。雨香と話すと、いつもこうだ。最初は冷静でいられるのに、後々からペースを乱される。
「私は、もう高校生だからね」
静かに微笑んで、言う。高校生だって子供のくせに。大人みたいに振る舞って。
「私がここにいたのは、ただのバイトの帰りだよ」
「バイト……?」
「そ、バイト。この道の向かいのとこでね」
 こんな夜の街で?
 そう言おうとして、口から出る前に飲み込んだ。それを言ってしまうと、なんだか雨香が、いよいよ、私とは違う「大人」になってしまうと思った。
 変な話だ。私と雨香は、もう何の関係もないはずなのに……。
と、思った時だった。思考が突如、冷たいなにかで遮られた。
「雨だね」
 ぽつりと、雨香が言った時、それがザッという音と共に滝のように落ちてきた。
「ちょっと、これは、まずいね!」
 雨の音に負けずと、雨香が叫んだと思った時、グッと強く腕を引っ張られた。
「ちょ、ちょっと! なによ!」
「風邪引くでしょうが! この近くで雨宿りできるとこ知ってるから、そこ行くよ!」
「風邪ぐらい、別にいいよ! 一人で帰れる!」
 そういって、無理やり腕を振りほどいた瞬間、何をどうやったのか、再び雨香に腕を掴まれていた。それも、ぐっと力強く。
「良くない! 受験生でしょうが!」
 なによ、と思う。
 そうやってまた、大人みたいに。この人は。
 そんなところに、私は惹かれたんだ。

*

 雨香に連れていかれたのは、この街でよく見かけるようなホテルだった。
「ちょっと、これは止みそうにないねぇ。涼夏、ちゃんと親に今日友達の家に泊まってく、とか言っておきな。親御さん心配するだろうから」
 濡れた髪をかきあげながら、そんな、また大人みたいな事を言う雨香に文句言おうとして、けれど、言ってる事は正しいから、反論できなくて、言葉をそのまま飲み込んだ。その代わりに言う。
「こんなとこ、子供が入っていいの。ここって大人の……」
 大人の、と続ける言葉に赤面しそうになり、尻すぼみになってしまう。そんな私をどう思ったのか、雨香は、ふふん、と少し自慢げに言った。
「大丈夫、大丈夫。こういうとこって、お金さえ出せばそれで向こうは満足なんだから」
 本当だろうか、と怪しむ私を置いて、雨香は、自然と中へ入っていき、私も慌ててその背を追う。
 なんで私は、また雨香の背を、また追いかけているのだろうと思いつつ。

*

 本当に、何の問題もなく部屋に入ってしまえた。
「涼夏。先にシャワー入っていいよ」
 バスタオルで濡れた髪を吹きながら、そんな事を言う雨香に、最早条件反射のようになってしまっている文句を言おうとしたら、強引にシャワー室に押し込められた。
 バスルームは、相当に広かった。普段使っている家のよりも、数倍は広い。
 その広さ故か、それともこんなところのだからか。それは分からなかったけれど、どうにも落ち着かないままにシャワーを浴びる。少し熱めのお湯が、雨で冷えた体に心地良い。それで少し心が落ち着いたのか、ついつい昔の事を思い出してしまった。
 それは、2年前の事。私が上京してきたばかり中学一年で、雨香は中学3年だった。
 その時、私は確か、校舎を歩いていて、図書室へ行こうとしてちょっとした迷子になっていた。そこに話しかけてきたのが雨香だった。
「どうしたの? 誰か探してるの?」
 後ろから声をかけられて、少し驚いたのを覚えている。しかもそれが(今となっては認めたくはないけれど)美人だったのだから尚更だ。
 私が振り向くと、何故か雨香も驚いていて、すぐにその驚きの表情を消して代わりに笑顔を貼り付けた。私が図書室を探している事を言うと、彼女は一言、
「よし、案内したげる」
 そういって私を――さっきみたいに――腕を掴んで連れて行った。
 お子様扱いしないで欲しい、と少し不満気に私は思っていて、けど、私もこんな大人びた人になれたらな、なんて思った。
 そうして図書室に付いて、雨香は私が礼を言う前にすぐにどこかへ消えていった。そうして、部活見学に赴いた先で、また再開するとは思わなかったけど。
 昔の事を思い出してる内に、体が火照るくらい温まっていた。雨香も待っているのだから早く出なければ。
 と、思ったはいいが、脱衣場にはタオルがなく、なぜか代わりにタオルのような浴衣のような何かが置いてあった。これを着ろという事なのだろうか――下着もつけないで? と、首を傾げつつ、少し試行錯誤してそれを着た。
 私が出て行くと、雨香は濡れた服を脱いで、鏡台の前で何かをしていた。私が出たのを見るとまた、少し微笑んで何も言わずに、私とすれ違って脱衣場へ消えていった。
 何をしていたのだろうと、鏡台の前へ行くと、そこにはさっきまで雨香が付けていたピアスと、爪が置かれていた。
 つけ爪というやつだろうか。話に聞いた事はあっても、見るのは初めてだった。そして今更ながらに、あれはつけ爪だったのかと思った。考えてみれば当たり前の事ではあるけど。
 その一つを持ち上げてみると、橙色の灯りにそれが照らされた。
 真珠色に光る、鋭い爪。
 人間のものとは到底思えない、現実的じゃない鋭さと色だった。
 それは、まるで、雨香その人のようで。
「なにしてるの?」
 と、その時。
 真後ろからかけられた声と息に、体が飛び上がりそうになった。
慌てて振り向くと、私と同じものを羽織った雨香がそこにいた。
 今その爪は、当たり前のように私と同じ色だけど、少し淡い桃色だった。
 そんな事に少しだけ安堵しつつ、言う。
「はじめて見たから。つけ爪とか、ピアスとか」
「なんだ、そんな事か」
 また、雨香は微笑って、そして、当たり前のように鏡台に置かれていたビニールに包まれていた爪切りを出して、そのヤスリを持ってベットに座った。
「涼夏は、その色好き?」
 爪にヤスリを当てながら、雨香が言う。
「好きというか、」
 なんとなく、口ごもる。さっき思った事を言うと、子供に思われそうで。
「好きというか?」
 雨香が促す。それに誘われるように、私は涼夏から離れてベットに座る。
そして、少し口ごもりながら、思った事をつぶやく。
「獣の爪みたい。それか、悪魔の爪」
 獲物を捕まえて逃さない為の、鋭くキラキラした道具としての爪。キラキラしたものが好きな、捕食者の爪。
「ふふ、嬉しい」
 子供の思う事のようだと、笑われると思ったら、雨香は嬉しそうに微笑んで、研いでいたヤスリをそこに置いて、雨香は私に近づいてくる。
 身が引いてしまうのは、危険を察知した弱者の本能だろうか。
そのまま引いていって、壁にいよいよ背がついた。
「獣とか、悪魔っていうなら」
 ゆっくりと、私の羽織っていたタオルを脱がして、言う。
「涼夏の、心臓、食べちゃうぞ」
 ヤスリで研いでいたはずなのに、雨香の爪は鋭利で輝いている。それが、私の心臓の上に立てられた。
ゆっくりと力が入れられて、音もなく、突き立てられた場所から。
キラキラと輝く、私の赤い、
血が、五つ。
 遅れて、痛みがきた。
「涼夏は、キラキラしたの、嫌いっていうけどさ」
 雨香の指が、私から離れる。
 爪の先端が、赤く濡れている。
「涼夏のこれは、とても綺麗だよ」
雨香が、指を唇に持っていく。
 紅色の唇が、赤く濡れた爪を食む。
 その、唇から、さらに濃い桃色の、舌が覗いて、
 爪を、ペロリと。
 目が、離せない。その、爪を舐める雨香が。
あまりにも、キラキラしていて。
 私は、きっともう、それからずっと、目が離せなくなるだろう。
だって、こんな。
綺麗なものから目を離す事なんて、絶対に出来ない。



 都というか、都会じゃねぇか!
そんな事を思われた皆さん、ごめんなさい。椛輝く古都での百合とか考えられてた方ごめんなさい。
 私の都(というか都会)のイメージは、「光り輝く」「俯瞰風景」「偶然の出会い」そんな感じなのです。
 で、大学のある名古屋は名駅前で帰り道、どんな話がいいかなーと思いつつ歩いてると、真面目な女の子と、キラキラ着飾ってる派手目女の子というイメージが。
これだ! と閃いて、涼夏と雨香の二人のイメージが出来たわけであります。
 雨香が、妙にホテルに慣れてる感じなのは、皆様がお考え通りで……。
企画に参加させていただいた、がとーしょこらさん、そしてこれを読んでいただいた皆様、ありがとうございました!
ほえるー @hoeru_



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