041 宝石箱



「本物の宝石はね、冷たいの」
薄暗い倉庫の中で彼女が言う。手には紅玉が握られている。彼女はそっと唇にルビーをあててこちらを振り返った。幼い顔には似つかない妖艶な表情だった。
「その宝石は本物?」
「えぇ」
かちゃりと宝石箱を開けてルビーを仕舞う彼女はどこか良国のお嬢様のような気品があった。
「あなたは」
すっと私に彼女が近づく。腕には冷たい手が添えられた。
「あなたは、温かいのね」
上目遣いで見つめられた黄金色の瞳に、私は恋をした。

 忍び込んだ屋敷で不思議な幼女に出会った。
「シェリー」
「?」
「私の名前」
泥棒の私を言い咎めることもなく蔵に招きいれたその女の子はシェリーといった。金色でふわふわと伸びた髪にはよく合った名前だと思った。
「こんなことしていいの?」
「いいのよ」
シェリーは砂糖菓子をまぶしたような白い手で宝石をもてあそぶ。そしてそれを私に差し出した。
「あげる」
「……いいの?」
「私の宝物」
にこりと微笑む彼女は年相応の少女だった。
「売ってしまうよ?」
「それでもいいの。あなたの手の中で、少しでも輝くことができるなら」
頬を上気させて目を細める彼女は可愛かった。
「そろそろお父様が来るわ。また明日、会いましょ」
シェリーはひらひ らと手を振る。その動作は私の意思とは関係なく作用して私を家路につかせた。

 次の日も私は物置蔵にやってきた。しかし入り口に誰かがいて入ることができない。
「シェリー……」
声の先には初老の男性が佇んでいる。彼は憔悴しきったような目をしておぼろげに暗い空間を見つめていた。しばらくすると再び、シェリー、と小さくつぶやき踵を返して屋敷へと帰っていった。そのときは少し変だなと感じたくらいだったように思う。少し考えれば想像はついたはずなのに。
 その人が去った後は、昨日と同じように柵を潜り抜け、蔵の扉を押し開けた。
「シェリー?」
「遅かったね」
埃をかぶったはしごの上に彼女は座っていた。とん、と軽い音を立てて地面に舞い降りる。
「今の人は」
「……お父様よ」
シェリーは金色の眼をまぶたで半分くらい隠して伏 目がちに呟いた。
「あなたを探していたんじゃないの?」
「私はいないもの。返事をしても仕方がないわ」
さぁ、と言って彼女は宝石箱を開ける。今日も持っていってと笑う。まるで小さな花のようだ。
 「昨日貰ったルビーは高く売れたよ」
だからあえて傷つけるようなことを言う。それなのに。
「嬉しい」
それなのにシェリーは屈託なく笑う。
「あなたのためになれたのなら、私は嬉しい」
「やっぱり、変な子」
「あなたの前だけよ」
まっすぐに眺められ、なんだか居心地が悪くてをそらした。

 それから毎日私は彼女の元に通った。幼い指先が宝石をくすぐる様子が気に入ったのかもしれない。私はシェリーに日に日に惹かれていった。
「私、あなたが好き。私を攫って行ってくれるあなたが」
だからそう言われたときは正直何も言えなくなるくらい嬉しかった。宝石を自分のものにしたときのような満足感があった。
「あなたになら、全部あげる」
琥珀色の瞳に吸い込まれそうになる。私はもはや盗みに入るのは口実になっていることに気づいた。
「私は」
続けて声を出そうとするとシェリーが人差し指を口元に当ててしーっというふうなしぐさをした。
「それ以上は、だめ」
くるりと回転し私の元から離れていく彼女。
「だめなの」
念を押すように、はたまた自分に言い 聞かせるように誰にでもなくシェリーは言った。

 屋敷を訪れ宝石を貰う。そんな毎日を繰り返したある日。
「これで最後」
彼女は目を瞑ってそう呟いた。数週間前までは煌々と輝きを放っていた宝石箱には、ピンクダイヤモンドだけがぽつりと光っていた。
「もうあなたと会うこともないわ」
嫌な考えが頭によぎった。もしかすると、シェリーは。
「あなたは、もう」
わなわなと震えている私に構いもせず、彼女は私の手にダイヤモンドを握らせた。
「これでおしまい。明日ここに来ても私はいない。もう未練がないもの」
「やっぱりあなたは」
「えぇ、死んでるの。とっくの昔にね」
遠くを眺める彼女の表情は穏やかだった。
「あなたが私の愛しいものを全部持って行ってくれた。だから私はこの場所から解 き放たれるの」
「行ってしまうの?」
私はシェリーとの毎日を楽しんでいた。少し不思議で可愛いシェリーが好きだった。
「あなたそれでも泥棒? 私に心を盗まれてどうするの」
頭を殴られたかのようだった。私は盗んでいるつもりで、盗まれていたのだ。
「このダイヤも、すぐに売ってしまうよ。そうしてあなたのことも忘れることにする」
それが精一杯の強がりだった。彼女は出会ったときと同じ、大人のような表情をしていた。
 
 「おやすみ、シェリー」
思いを断ち切りそう言い残して私は外の世界へ出た。


 結局あれから数年たった今でも私はあのダイヤモンドを手放せないでいる。私の心は彼女にとらわれたままだった。だれかに心を攫ってもらわなければ、きっと私はこの宝石を手放せない。あの子も同じだったのだ。そうしてようやく気づく。シェリーに初めてあった日から、私は彼女の宝石箱の中に閉じ込められてしまっていたのだと。





今回このお話を書いていて違和感を感じていたのはなんだろうと書き終えてから考えました。
それは蔵という古風な呼び名とシェリーという外国人のような名前が自分の中でマッチしていないから発生したものでした。呼んでくださったあなたはどう感じられたでしょうか。
百合は世界の宝物です。これからも地道にすてきな百合世界を広げて生きたいと思います。
このようなつたない文章でしたが、最後まで御読了いただきありがとうございました!
はる @numakoharu



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