027 歯



   ―――この一線を、あたしは越えたい―――

「ん……ん……ちゅ……」
 あたしのすぐ目の前で、真由が艶やかな声を漏らす―――あたしとの口づけによって。
 放課後をかなり過ぎた後の、誰もいない教室の隅。
 あたしたちの秘密の“遊び”。
―――ぷはっ。
 唇を離す。あたしも、真由も、呼吸を激しく乱している。
 少し俯いて息を荒げる真由の顔を、あたしは見つめる。夕日と、口づけの恥じらいに朱に染まった頬はより美しく、より愛おしく―――もっと彼女を、愛でたくなる。
 「真由―――もう一度、しよ」
「ん……いいよ、周子―――」
おねだりに対する短い返事を認めるとすぐに、あたしは真由のあごに手を当て、顔を上に向けて唇を重ねる。手をあごから離して真由の肩に置き、身体を引き寄せて密着させる。
二度目のキス。
 「……はん……んっ……」
 キスをしながら、真由は小さく喘ぐ。その声に真由を欲するあたしの心はますます強くなる。
もっと―――もっと真由が欲しい。一線を越えて、真由と親友ではない、もっと深い関係になりたい。その想いが、日に日に強まっていく。
一線を越える―――そのために、あたしは重ね合わせた唇から舌を出して、真由の隙間の内に這わせる。真由の歯に、舌先を触れさせる。
「ん……んんっ……」
拒むような真由の声。その歯は頑なに閉ざされている。それをあたしは開けて欲しい。あたしを邪魔するその歯を越えて、一線を越えて、先にある深いところに舌を挿し入れたい。あたしだけしか触れることのない場所を、真由の中に作りたい―――そんな“遊び”以上のものを、あたしは真由に望んでいた。
そう、これは“遊び”。
十年以上前の、唇を重ね合わせることの意味を理解していない子供の“遊び”が、あたしの真由に対する情念の始まりだった。
            *
この秘密の“遊び”を、あたしたちは十年以上続けている。
あたしと真由は家が近所で、幼稚園に入る以前からお互いのことを見知っていた、いわゆる、幼馴染みという間柄にある親友。
その幼馴染み同士が初めてこの“遊び”をしたのは、幼稚園を卒園したての頃で、小学校に入る少し前。場所は遊びに行っていた真由の家。
 「ねえ、しゅーこちゃん、キスしよ?」
 誘ったのは真由の方。
 「きす?」
 「うん、好きな人同士でするんだって」
 幼い真由がどこからそんな知識を得たのだろうか。今となっては不思議なこと。その時のあたしは、真由が言っていた行為自体を知らなかったのに。
「まゆはしゅーこちゃんのこと好きだし、しゅーこちゃんは、まゆのことが好きだよね?」
 「うん、あたしもまゆのこと好きだよ」
 「じゃあ、しよ」
 「うん! けど、きすって、なに?」
 「それはね、しゅーこちゃん、こういうことをするんだよ―――」
 これが、初めてで、始まり。
 無邪気で、自分たちのしようとしていることの持つ意味すらよく理解していない、幼い子供の戯れ事―――そんな始まり方。
 「はぁ……はぁ……しゅーこちゃん……」
 「まゆ……」
 今と同じように、最初のキスの時もあたしたちはお互いに息を切らしていた。
 「きもちよかったね……」
 「うん、しゅーこちゃん……」
 初めてのキスで、あたしは得も知れぬ昂ぶりを感じていた。
 胸が、すごくドキドキした。
 なんだかいけないことをしているような気持ちを感じていたから―――それ以上に、重ね合わせた真由の唇を知ったから。
彼女が余りにも柔らかく、甘いことを知ったから。
 真由とのキスが、とても気持ちがよかったから。
 もっとしたい。もっとまゆとしたい―――初めてのキスは、幼い少女には似つかわしくない、そんな欲求をあたしにもたらした。
 「ねえ、まゆ―――」
 「なあに?」
 「また、きすしてくれる……?」
 「うん! またしようね、しゅーこちゃん!」
 きれいに並んだ白い歯を見せて、真由は笑った。
 輝くような笑顔―――その顔を見た瞬間、あたしは胸の昂ぶりの原因に―――真由を“好き”になったことに気付いた。
 幼馴染みに対するものとは違う、自分が今まで抱いていた“好き”とは別の“好き”を―――感覚としての違いはわかっていても、それが意味するところがまだ理解できていない“好き”を。
            *
 あの日から、あたしたちは幾度も唇を重ねた。
 ただ気持ちよくて、ただなんとなくいけないことをしているようなドキドキがたまらなくて、ただ真由が“好き”で、あたしは密かにこの“遊び”を真由にねだり続けていた。小学生になっても、中学生になっても、高校生になった今現在でも―――
 小学校の低学年の頃は、あたしのおねだりに真由はいつも無邪気に応じてくれた。まだ、キスをしあう意味をよく知らなかったから。あたしの“好き”を理解していなかったから―――とはいっても、真由もどこかであたしたちがしていることは“誰かに話してはいけないこと”と感じていたのか、誰もいないところでキスをしていた。それをしていることも、あたしたちは決して誰にも言わなかった。
もっとも、ぶっきらぼうで無表情なあたしには、秘密を打ち明けられるほどの仲の良い友達はできなかった。だけど、社交的で友達が多い真由も誰にも言わなかった。それどころか「他のみんなには内緒だよ。わたしたちの秘密の遊びだからね、周子ちゃん」と、真由はあたしに言った。
秘密の遊び―――その“秘密”という言葉は、幼いあたしに真由とのキスをより甘美なものに感じさせた。そして、その“遊び”という言葉は、成長したあたしの都合の良い道具となった。あの言葉があったから、真由が“遊び”と言ったから、あたしもこれは“遊び”だと自分に言い訳して、真由とキスをし続けていた。
けれども当然のことだが、年を重ねるとあたしたちの無邪気な“遊び”としていたものは、本当は“遊び”ではない別の意味合いを示す行為だと理解し合った。それでも―――その事実から目を逸らし、あたしは真由に求め続けた。自分たちがしていることは“遊び”ですることではないと分かる年齢になっても、真由に対して抱いている“好き”が恋という名の感情であると識るようになっても―――むしろ、恋だと識ったから、あたしは真由にキスをねだり続けていた。
そんなあたしのキスのおねだりに対して、真由も年を重ねるごとに恥じらう素振りを見せるようになったが、明確に拒むことはなかった。それでも中学生の頃、あたしのおねだりに真由がはっきりと躊躇う素振りを見せたことがある。その時、あたしは真由にこう言った。
「あたしは真由のことが好き。真由も―――あたしのことが好きなんだよね? 好きな人同士でする“遊び”なんだし、ずっと前からしてきたんだから、しようよ?」と。
そう言えば、真由は拒まないとあたしは確信していた。拒むことによって今まで“遊び”でしてきたことに特別な意味を認めてしまうことになる。そうなると親友であり、ずっと一緒だったあたしとの関係が崩れ、あたしたちの過去までも全く別のものに変容するのではないかという怯えが真由にあることを感じていたから―――そして、実際に真由は拒まなかった。
真由はあたしの言葉に従ってくれた。あたしは、それにつけいるだけ。その時も、今も。あたしのおねだりを拒否して関係を崩すよりも、歪んでいながらも幼馴染みの親友同士という関係を維持する真由の選択につけいるだけ。
あたしは真由の優しさと臆病さを利用して自分を満たす、狡猾で、卑劣で、汚らわしい親友―――そう自己嫌悪する心もあったけど、それ以上にあたしは真由を手放したくなく、そして、もっと欲するようになった―――親友以上の、もっと真由にとって特別な存在になりたい。ふたりの関係を、もっと深いところの結びつきにしたい、と。
もっと真由の中に、あたしの舌を、あたしの身体を侵入させたい。誰も触れたことのない真由の深奥に、あたしを届かせて、あたしの印を刻みたい。そうすることによって、真由をあたしだけのものにしたい。そのためには、あたしを拒む真由の歯を―――その一線を越えたかった。
あたしを阻む歯の一線を越えられれば、真由ともっと深い仲になれるのではないか――そんな希望があたしにあった。何の根拠もない、妄想じみた希望。真由が歯を開いてあたしを中に入れるのを拒む度に、もしかしたら、この先にあたしを届かせれば親友ではないもっと深い関係になれるのではないか―――そんな稚拙な希望がいつしかあたしの中に生まれていた。無根拠で妄想じみているけれども、稚拙だけれども、歪んだ関係を真由に続けさせているあたしには、これしか依るものがなかった。
だから今日も、扉を開けてあたしを入れてと彼女の歯に舌を寄り添わす―――
            *
 「ん―――はぁ……はぁ……真由……」
 あたしは真由の歯に阻まれた舌を戻し、唇を遠ざける。二度目のキスでも、息を切らす。
 「………ねえ、周子、そろそろ―――んっ!」
 真由の言葉を遮り、あたしは唇を重ねる。真由が“遊び”を終えたがっている気配を感じたから。
もう一度、もう一度だけ、真由の中に入る試みをしたかったから、あたしは三度目のキスをした。
「んくっ……ちゅむ……んんっ……」
さっきよりも強い、拒みの声。
それでもあたしは―――舌を出す。
 真由の唇を割る。真由の唾液に舌を濡らしながら、中に侵入させて彼女の歯をなぞる。
 真由の白く、美しい歯。歯並びが悪く、長らく矯正器具をつけているあたしとは違う―――憧れめいた感情がほのかに湧き出てくる、美しい歯。
どこまでも滑らかで、どこまでも繊細で、あたしの一線を越えたいという欲望を阻む壁なのに、愛おしいものを感じてしまう真由の歯―――その感触に、あたしは最初に真由とキスした時のことを思い出す。
 初めてのキスをし終えた後、真由は歯を見せてあたしに笑いかけてくれた。今あたしが舌で貪っている歯を。
あの時、あたしはキスをして、真由の笑顔を見て、自分が真由に恋をしていることを認識した。まだその感情が恋という名前だと知る前の幼いあたしが、真由に恋したきっかけとなった笑顔。その笑顔を輝かしく魅力的なものにしていたのは、彼女の小さな口元から覗かせた秀麗な歯にあったのではないかということに、真由の歯を越えようとしながら、あたしは思い至る。
 あたしの想いの始まりを創り、あたしの想いを阻む、真由の歯。
 開けてほしい。
 この歯を、開けてほしい。
 あたしの恋の端緒を彩り、あたしたちの関係を変える障害となっている歯を、開けて欲しい―――この一線を越えたくて、あたしは真由の歯に希望と欲望を預けた舌を這わせる。
            *
   ―――この一線を、わたしは越えられない―――

わたしの言葉を遮るように、周子が唇を重ねる。三度目のキス。わたしの唇の隙間から、周子の舌が潜り込み、進んでいく。
周子の舌が、わたしの歯に触れる。その舌はわたしの歯を、その向こう側に入りたがるように撫でる。
 周子の舌は柔らかく、その温かな湿り気が心地よくて、わたしの意識が白くなっていく―――このまま、自分の全てを周子に委ね、周子が望むようにされたい。閉ざした歯を開けて、中に周子の舌を招き入れて、彼女が満たされるまで貪られたい。
 けれども、心のどこかでそれはいけないという臆病なわたしの叫び声が聞こえる。
 この一線を越えてしまうと―――わたしと周子の関係は、もう後戻りできないところまで壊れてしまうと、周子に対して抱いている醜い想いがあふれ出てしまうと、心が告げる。
 もう二度と、幼馴染みの親友には戻れない。周子のそばにはいられない。
 そんな言葉に思考が辿り着くと、わたしは周子に貪られたいという衝動を払いのけて、彼女の舌がわたしの中に入らないようきゅっと力を入れて歯をより強く閉ざす。
彼女の舌による愛撫に堪える。
 ちゅぷ―――
 水の弾ける音がする。周子の唇とわたしの唇が離れる時の音がする。
 「真由―――」
 息を切らしながら、周子があたしを見ている。
 その瞳は潤み、どこか哀しさを感じさせた―――いつもそう。周子はキスをする時は中に入りたそうにわたしの歯を舌で触れる。それをわたしが拒んでいることを察すると唇を離し、哀しみを宿した目で見つめる。
 そんな周子の顔を見るのは、心に痛いものを感じてしまうのだけども―――それ以上に手放しがたいものを抱いてしまう。
周子が、わたしに色々な顔を見せてくれるから―――
 キスをしたいとねだる際の期待するような顔。それをわたしが容れた時に見せる喜びの顔。わたしを見つめる、恥じらいを帯びた顔。そして、わたしに拒まれた哀しみの顔―――様々な顔を、彼女は見せる。わたしひとりのために、見せてくれる。
あまり社交的ではない無表情の周子が、わたしだけには様々な感情に満ちた顔をする―――そんな彼女を、わたしだけに特別な顔を見せてくれる周子を、大切に想わないはずがない。
 周子は、わたしにとって誰よりも大切な女の子。誰よりも大切な、幼馴染みの親友。
 今までずっと一緒にいて、これからもずっと一緒にいたい、わたしの大好きな親友―――だけど、わたし自身本当はわかっている。わたしたちの関係は、幼馴染みの親友と呼べるものからかけ離れ、歪んでいるということを。
 幼い頃から互いを知る親友でも、唇を重ねたりはしない―――その当たり前なことを、わたしは気付かない振りをしていた。周子も気付いていないと自分を思い込ませていた。幼稚な現実逃避だということはわかっているけれども、そうしていた。
 口づけを交わす、歪んだ親友関係の始まりは、幼い日のわたし自身。あれは小学校に入る少し前の頃だったと思う。年が一回り以上離れた姉の持っていた漫画を見て、その真似事で、周子とキスをしたのがきっかけ。
単なる好奇心からのキス。子供の“遊び”でしかないキス。
そうなるはずだったのに―――周子とのキスに、胸の高鳴りを感じてしまった。周子との口づけに、暖かく、幸せなものを感じてしまった。
そう感じてしまったから、だから―――周子とキスをもっとしたいと、幼いわたしは抱いてしまった。そして、周子もわたしと同じ想いを抱いていることも識った―――あの日から周子が、わたしにキスを求めてきたから。
 あの頃のわたしはキスをすることの本当の意味を知らないで、ただ、周子と同じ気持ちだということが、また周子とキスできるのが嬉しかったから、周子のおねだりにいつでも応じた―――むしろ、周子がキスをせがんでくれることをわたしは楽しみにしていた。
 それでも、幼心に周子とキスをすることに対して“遊び”とは違う何かを感じていたのだろうか、周子とのキスは誰にも話さなかった。両親にも、姉にも、友達にも、話してはいけないことだと、理由もわからずに感じていた―――そして、年を重ねるごとに、周子とキスをするのはいけないとはっきり意識するようになった。わたしの心の中に、周子に対して―――親友に対して、決して抱いてはいけない欲望があることを認めてしまったから。
            *
 年を重ねるごとに、わたしは周子とキスをするのはいけないという認識を―――わたしの心の中に芽生えた欲望の認識をしていった。
 完全に自分の中に渦巻く欲望をはっきりと認識したのは、中学生の頃。
わたしは自分の欲望を―――周子とキス以上のことをしたい。周子の身体にもっと触れたい。あの子の、誰にも触れていない場所に、わたしの指を添わせ、舌を這わせたい。周子の身体だけでなく、心もわたしで満たしたい。そしてその時、周子はわたしにどんな感情に彩られた顔をするのかを見たい。ずっと一緒にいて、周子の顔を見続けていたい―――という欲望をはっきり意識した。
 親友に対して抱いてはいけない想い。
そんな醜い欲望を持つ自分を恥じた―――穢れた想いを隠し抱いているわたしに、周子の唇に、周子の身体に触れる資格があるのか、周子の親友としてそばにいる資格があるのか、と。そんな気持ちが、周子とキスをすることを躊躇わせる素振りをわたしにさせた。
それでも周子は―――わたしにキスを求め続けた。そしてわたしは、周子の求めに結局は応じてしまった。
周子の「あたしは真由のことが好き。真由も―――あたしのことが好きなんだよね? 好きな人同士でする“遊び”なんだし、ずっと前からしてきたんだから、しようよ?」という言葉を聞いたから。
わたしたちがしてきたことは、ずっと前からしてきた“遊び”。だからこそ、それを拒否してしまうことは、“遊び”以上の特別な意味を認めてしまうことになる。
“今までずっと、大好きな親友同士で”してきた“遊び”だからこそ、拒否することはわたしたちの関係の否定になり、自分の醜い心を、周子にだけは識られたくない欲望をさらけ出してしまうことになってしまう―――あの言葉から、そんな呪縛めいたものにわたしは囚われた。
周子が口に出したから、誤魔化すことはできず、わたしはその言葉から逃れられなかった。
そのことを彼女がわかって言ったのか、わからずに言ったのか―――いずれにしろ、今となってはあの時、周子が口に出したあの言葉に従ったのはいいことだったのだと思うことにしている。
自分の欲望を隠したまま、周子と表面上は“親友”の関係を維持したまま、周子とキスをして、感情に揺れ動く周子の顔を見ることができる―――そんなわたしにとって望ましい状況を作り出してくれたから。そんな関係を、彼女が言った―――正確には幼いわたしが言った“遊び”という言葉で肯定することができたから。
それでも、薄々は感じている―――こんな歪んだ関係はずっと続くわけはないと。いつかは必ず綻び、崩れてしまうと。穢れた心を潜ませながら、ずっとあの子のそばにいられるはずがないと。わたしの醜い欲望が識られたら、周子と一緒にいることができなくなってしまうと―――そんな“いつか”への怖れを抱きながら、自分の欲望をひた隠しにしながら、わたしは周子とキスをし続けた。
だけど、周子は―――キスをする時、わたしの中に入りたがるようにその舌でわたしの歯に触れる。そのことが、わたしの欲望を隠し通すことができないくらいまで、深めてしまいそうで―――
            *
「真由……もう一度―――」
三度目のキスでも中に入ることを拒まれて哀しみの色を見せた周子が、もうひとつをねだる。
その瞳が濡れているのは、幾度もキスをしたことによる呼吸の乱れか、それとも―――
「いいよね、真由―――」
彼女がねだる。
わたしはそれに、黙って頷く。
周子の顔が近づき、唇が重ねられる―――四度目のキス。
「―――っ……ん……」
四度目もまた、周子は舌でわたしの唇を開け、歯を撫でる。
わたしは歯を開いて彼女の舌を受け入れたいという想いに抗う。
周子の身体がこの歯を越えてしまうと、一線を越えてしまうと―――わたしは自分の欲望を、周子を求める心を抑えておくことができなくなってしまう。そんな怖れがあるから、わたしは彼女の舌を拒み、貪られたいという想いを沈める。
だけど、本当は――――自分の欲望を全てさらけ出して、周子に本当のわたしを、親友に対して抱くべきでない想いに囚われているわたしを、全て識ってもらいたい。この歯を開けて、わたしの穢れを受け入れてもらって、周子に貪られたい―――そんな願いが、わたしにはあった。
そして、周子が―――わたしと同じような想いを抱いていてほしいという希望もわたしはほのかに抱いていた。
 周子はわたしにキスを求めてくる。その理由はなんだろうと考えると―――わたしと同じような想いを抱いているのではないかと思ってしまう。周子がキスを求め、わたしの閉ざした歯の向こうへ行きたそうに舌を動かし、わたしがそれを拒むと哀しげに目を潤ませた顔を見せるのは、もしかしたら、わたしが周子を求めているのと同じように、周子もわたしを求めているのかも―――そんな淡い期待を、抱いてしまう。
けど、その一方で別の考えが顔を出す。
周子がキスを求めるのは、単純に、初めての時と同じように、ただ気持ちがいいから。
周子がわたしの歯を執拗に舌に撫でるのはわたしの中に入りたいのではなくて、歯並びが悪くて矯正器具を長く付けている彼女のコンプレックスの発露。
周子がキスの後に哀しそうな顔をするのは、呼吸の乱れと潤んだ瞳で、そう見えるに過ぎないだけ。周子がわたしと同じ気持ちだと思いたいという自分の心がそう見せているだけ―――そんな自分の希望を否定する考えもまた一緒に浮かぶ。
そしてなによりも周子は―――わたしのような醜い欲望を抱くとは思えない。
無表情で、ちょっと斜に構えたところもあるけど、本当はただの照れ屋で、素直で、良くも悪くも自分に正直な女の子。そんな周子が、わたしの持っているこんなにも醜い情動を抱いているとは思えない。
もし、周子がわたしと同じ気持ちだと思って自分の全てを伝えた時、その考えが違っていたら―――わたしは周子を永遠に失ってしまうことになるかもしれない。それが怖くてたまらない。
そんな、情欲と身勝手な希望と恐怖の入り混じった名指しがたい感情が、周子に対するわたしの全て。
醜い、醜い、わたしの全て。
こんなわたしが、周子の身体を、周子の心を、周子とずっと一緒にいることを求めてしまうのは―――許されない。わたし自身が許さない。
だからわたしは、本当に望んでいることは手に入らなくてもいい。手に入れてはいけない。
ただ、それでも、今の関係を少しでも長く続けていたい。せめて、この歪んだ関係が崩れてしまうまでの、周子がわたしにキスを求めてくれる間だけでも―――鮮やかに表情を変える周子の顔を、わたしが見ることだけは、どうか許してほしい。
わたし自身にも、周子にも。
そのためにわたしは、一線を越えないように固くこの歯を閉ざし続ける―――
            *
   ―――今日もあたしたちは/わたしたちは、一線を越えなかった―――
 
重ねていた唇が離れる。
四度目のキスの終わり。
 あたしたちは/わたしたちは、またお互いに、息を切らしている。
「周子―――もう、帰ろう」
 自分の心を曝さないように、わたしは今日の“遊び”のお開きを告げる。
 「うん、わかった―――真由」
 彼女につけいる罪悪感から、あたしは真由の言葉に従う。
            *
あたしは/わたしは、いつも一緒に帰り道を歩く。
 大切な人と、一緒に帰り道を歩く。
 夕日の朱に染まる帰り道。
 真由と/周子と一緒に並んで帰り道を歩く。
 どちらともなく、手を寄せる。
 真由の/周子の手が、あたしの/わたしの手に触れる。
 どちらともなく、手を繋ぐ―――愛しい人の、温かい手。
 その温もりを感じていたくて、ゆっくりゆっくり、歩みを遅らせてしまう―――そんないつもの、帰り道。
 けど、あたしたちは/わたしたちは―――いつまで、一緒に、こうしていられるのだろう。
 あたしが真由の歯を、一線を越えられないまま/周子がわたしの歯を、一線を越えてしまって、この歪んだ関係が終わってしまう時は、いつくるのだろう―――
 そんな不安を真由に/周子に識られないように、手を繋いで身体を寄せて、ふたりで歩く帰り道。





ゆ川 @akaiito_bot



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