021 魔法



 夕暮れの時。まぶしい橙色に包まれ、世界が暖かくて優しい色に染まっている
幻想的な時間。恋人未満の人たちが、恋人への一歩を踏み出してしまいそうな時間。
そんな素敵な時間の中・・・私こと黒間(くろま)藍(あい)は・・・現在進行形で大ピンチでした。
「藍ちゃん大好き!一生ぎゅーってしてたい!」
 そう言って、私なんかよりすごく綺麗な女の方が私を抱きしめます。それはもう、頭が割れそうになるほどに強く。変質者ではありません。小学校から今(高校)まで
偶然学校が同じだった、鳥巣(とりす)利里(りり)さんです。
「り・・利里さん!落ち着いてください!というか苦し・・・と・・とりあえず私を
離してー!」
「いーやっ!」
「うう・・・」
何度も言いますが変質者ではありません。そもそもこんなタイプの人ではありません。
いつもはもっとお淑やかで、まわりに春風を呼び込むような笑顔を見せる方です。
「いーやっ!」なんて子供の我儘みたいなことは言いませんし、「ぎゅーってしてたい!」
なんて品のかけらもないことは言いません。
「ああ・・まさかここまですごいことになるなんて・・・・」
「藍ちゃん何か言った?」
「いえいえいえ!なんでもないです!」
 思わず挙動不審になってしまいました。というのも・・利里さんがこうなったのは
私のせいなのです・・・・


 私と利里さんは近所に住んでいたので、それなりに面識がありました。まあつまり
その程度の仲・・・到底友達と呼べるものではありません。綺麗な長髪と透き通る肌が
輝く容姿。なんでもソツ無くこなす器量の良さ。そして家が近いという理由だけで、
私なんかとおしゃべりをしてくれる優しさ。それが利里さん。憧れを抱かない方が
おかしいです。
一方私は・・・ショートヘアが似合うような子供っぽい顔・・・大抵ミスをやらかす
不器用さ・・・いつも俯いて大人しくしてしまうへたれっぷり・・・そんなクラスの隅が
一番似合いそうな人でした。近いのは家の位置だけで、利里さんと私は表現できないぐらいにかけ離れています。私よりもはるか高いところにいる、雲の上・・もしかしたら
空の上ぐらい差があります。この距離はずっと昔から変わっていません。小さいころからたまに見かけては、ほんの少しだけおしゃべり。それの繰り返し。触れ合いもせず、
自分の事を伝えることもせず、表面上だけの仲良しごっこを何年も何年も続けてきました。
 でも・・利里さんは本当に綺麗で・・・いつ会っても輝いていて・・・こんな私にも
優しく話してくれて・・・・・道端での出会いを繰り返していくうちに、私の喜びは
どんどん高まっていきました。今度はいつ会えるのでしょうか。今度は何をお話し
できるのでしょうか。わずか数十秒の友達ごっこに期待ばかり募らせていきました。
その頃はまだそれでよかったんです。お話して、あの優しい笑顔を見て、
私は十分満たされていました。でも、私の欲望はそこで止まってはくれませんでした。
会えるだけでよかったのに、会うたびに『もう少し・・もう少しだけ長く一緒にいたい・・』
と心が呻くようになりました。他の子が大勢いる学校では、私は利里さんに近づけないと
痛いほどに理解しているのに、『ここでもお話してみたい・・・ほんの少しだけで
いいから・・・』と我儘を思うようになりました。それに伴うように、行動もどんどん
エスカレートしました。最初は利里さんを目で追っていただけなのに・・・利里さんが
身に着けている物と同じものを、こっそり買ってしまったり・・・利里さんが本を読んでいたら、私もすぐに同じ本を読み始めたり・・・さりげなく会話を聞いて利里さんの事を
知ろうとしたり・・・完全にストーカーです。はい・・・。
 そんな不謹慎な日々を送り続けていたある休日。図書館に来ていた私は、偶然利里さんに遭遇しました。会って話をしたのではありません。見つけたとたんに隠れてしまったので・・・・本を持って館内に入ってきた様子から察するに、利里さんは本を返しに
来ていたようでした。返却のカウンターに向かいますが、担当者がたまたまいません。
仕方なく、利里さんはカウンターの上に本を置いて、そのまま帰っていきました。
「・・・・利里さん・・・どんな本を読んでいたのでしょうか・・・」
 もちろん私は気になって仕方がありません。私はダッシュ・・を館内ですると
怒られるので、ダッシュと早歩きの境界ぎりぎりのスピードでカウンターに接近しました。
迅速に行動したので、担当の方はまだ戻っていません。私は置かれた本に、なるべく横目
で見ているように見えつつも、きちんと題名を確認できるくらいの角度で視線を
向けました。外見は真っ黒・・・ホラーやサスペンスの話でしょうか?題名は・・・
「・・・黒魔法大全・・・?」
 ・・・これって・・・思いっ切りマニアの方が読みそうな本ではないですか・・・
利里さんはこういうのが好きなのでしょうか・・・
「あの〜・・どうかされましたか?」
「ふぁい?」
 いつの間にか担当の方が戻って来ていました。全く気付いていなかった私から、
思い切り間抜けな返事が漏れます。
「あ・・あ・・・いえなんでもないです・・・」
 うううう・・・絶対怪しまれてる・・少なくともバカにはされてる・・・・
「あ、そうですか。ご用がありましたら、なんでもどうぞ」

 はあ・・なんとか収まったようです・・・
「あの〜こちらは返却希望でよろしいのですね?」
 ああ、そうでした。本の事をすっかり忘れていました。利里さんが読んでいた本。
普通の人はあまり読みそうにないけれど・・・でもだからこそ、これを読めば
利里さんの事をもっと知ることができるのではないでしょうか・・・・
「あ、あの、その本、私じゃなくてさっき誰かが返しに来たんです。それで・・
私も読んでみたいのですが、今この場でお借りできませんでしょうか?」
 担当の方は、あっさりとした顔で答えました。
「あ、はい。大丈夫ですよ。こちらで行う事がありますので、数分かかりますが
よろしいでしょうか?」
「は、はい。お願いいたします」
 こうして、私はうまく流れに乗って少し怪しい本を借りました。家に持って帰り、
さっそく読み始めます。内容は・・・予想通りでした。
「呪術について・・契約について・・かなり濃密な内容ですね・・・」
 利里さんは本当にこんな本を読んだのでしょうか?今までの行動から考えますと、
すごく不自然・・・・と、少し疑い始めたその時、ページをめくる手に少し違和感を
感じました。
「あれ・・・このページだけ紙に癖がついてる・・他よりも開きやすい・・・」
 おそらく、このページをじっくり読もうとした数多の方が、何度もページに折り目を
付けたのでしょう。このページだけ手で押さえなくても紙が動きません。そしてそこに
書かれていたのは・・・
「チャームの魔法?」
 つまり魅了の魔法の事です。確かにこれは皆さん読みたくなります。
「チャーム・・相手の深層心理の中に術者の存在を入れることにより、術者を家族、恋人
と同じ程度の存在と認識をさせる・・・」
 簡単に言うと、この魔法を使えば、相手の心の中に自分の存在を介入できると
いうこと・・・つまり・・・これが・・・本当にできたら・・・
「い・・嫌・・・私は何を考えて・・・・第一こんなのただの遊びに決まって・・・」
 理性を保った私が、現実的な意見を声にして吐き出します。でも頭の仲では、
欲張りな私が甘く静かに私に囁いていました。
『デモ、モシホントウニソンナコトガデキルナラ・・?』
「・・・・・・遊び・・・こんなの遊びですよ・・・試に少しやっても、何も変わらないですよ・・・」
 何度も何度も自分に言い訳をすると、私はそのページを他とは比べ物にならないぐらい
時間をかけて読んでいきました。もう止まりません。

 本にはこう書かれていました。
『相手の心に術者の存在を介入するために、まずは相手の心を再現する必要がある。
まずは紙に正三角を書き。横に二分割する。割合は二対八程。綺麗に書けたら、三角の
上に相手の姓名を正しく書く』
 さっそく真っ白なコピー紙を用意し、マジックと定規で丁寧に三角を描き、きちんと長さを確認した後、三角に横線を入れました。そして利里さんの名前を丁寧に入れました。緊張ですこし手が震えましたが、ぎりぎりセーフです。
『二分割された領域のうち、上は下意識、下は無意識を表している。その点を考え、
自身の姓名を、相手の心の介入したいレベルの場所の書き入れる。なお、下の方に
行くほど相手の深層心理に近づく』
 簡単に言うと、下の方に書けば相手の心の深くに潜り込めるという事でしょうか?
遊びとはいえ少しやましい事ですし、一番下に書くのはさすがに・・・・
中心よりも少し下ぐらいにしておきましょう。
『姓名を書き入れたら、相手がどう認識しているかを決定させる。兄弟、家族など
血に関する関係ならば、自身の姓名の上に血を垂らす。恋人など血に関係しない
ものであるならば、相手の姓名に口づけをする』
 く・・口づけ!いいいくらなんでもそれは・・・なんか恥ずかしいと言いますか、
もう罪悪感しかないといいますか・・・でも・・・姉妹として見られたいわけでは
ないのですよね・・・私が欲しいのはそういう愛ではなくて・・・・
「・・・血なんて出すの危ないですし・・・し、仕方がないですよね!こっちしか
選択肢がありませんからね!」
 誰もいないのにわざわざ言い訳を言ってしまいました。私は本当に弱い・・
「ち・・ちょっと触れれば終わりです。軽くするだけです・・・」
 ゆっくりゆっくりと唇を利里さんの名前に近づけてゆきます。震える全身を
何とか抑え、ゆっくりゆっくりと・・・どうしてただの文字列相手に、ここまで意識して
しまうのでしょうか・・・緊張に勝てなかったので、少しでも緊張を無くそうと目を瞑りました。そしてそのまま手を動かして・・・ゆっくりゆっくりと近づき・・・・・
 カサリ。
 紙の感覚が唇に伝わりました。
「・・・・こ・・これでいいんです・・よね・・」
 本を今一度見返してみます。この儀式に関する記述は見当たりません。これで終わりのようです。
「はー・・・これで・・・恋人・・・」
 何気なく自分で言ってしまった一言が、心臓を大きく揺らしました。恋人・・・利里さんの恋人!ど・・どうしましょう・・一緒におでかけ・・ご飯・・・でででも恋人です
から、遊ぶだけでは終わらなくて・・・そ、そういう関係にある人同士でやることとか・・
「・・・って・・何を考えているのよ私・・こんなの・・・ただの遊びですよ・・」


 その次の日。ありえないと分かっていても、やはり少しは心配になってしまう
ものです。私は教室の中に、そろりそろりといつも以上に気配を消して入りました。
例えあの術が効いていたとしても、私が利里さんに気づかれなければ問題ありません。
術なんて効いてるわけないので、無駄な努力のようにも思えますが・・・
「藍ちゃん。おはよう」
 たった今確実に無駄になりました。見つかりました。カチコチに固まった体をなんとか動かし、ごく平然を装って、挨拶を返します。
「お・・おはよう・・」
 私がそう言うと、利里さんはいつもの優しい笑顔を見せ、いつものおしゃべりグループ
に交じっていきました。私の心の奥底から安堵の感情が広がっていきます。
「よかった・・・・当り前ですけど、何もなくて本当によかった・・・」
 って・・・何もなくて安心するのでしたら、どうして私はあんなおまじないをしたので
しょう。本当に私は臆病です。
「・・・まあ、少しは楽しかったからいいとしましょうか」
 こうしていつもの朝を迎えた私は、その後もいつもの授業、休み、昼食を迎え、
問題ない一日を過ごしていきました。そしてあっという間に放課後です。私は特に
部活をやっているわけではないので、カバンを持って昇降口に向かいました。そして
いつも通り下駄箱から靴を出して、学校から出・・・
「藍ちゃん。いま帰り?」
 一瞬、全身にビクッと痙攣が走りました。
「あ、は・・はいそうです。利里さんもですか?」
「今日は用事があるから。手芸部なんて練習も課題もそんなにないけれどね」
 まさかですけど・・この流れは・・
「どうしたの?帰らないの?」
 いいんですか・・・・一緒に帰るなんてしていいんですか!私!
「は、はい!」
 ああああ・・頭が真っ白です・・・

 夢にまで見た・・・でも夢で実現してくれれば十分な・・そんなシチュエーションに
私はいました。今まで本当になかったんです。こんな風に並んで歩いたりなんて。
な、何を話したら・・・
「あ、ねえねえ。本屋さん寄っていかない?」
「え、いいですけど・・・急いでいるのではないのですか?」
 利里さんが、周りにばれないように少しだけ笑います。
「実はサボりたかっただけなの」
 それを聞いて、私も少し笑ってしまいました。
「ふふ・・利里さんもそういう時あるんですね」
 やっぱり、こうしてお話しした方が、利里さんの事をよく知ることができるなー・・
今日だけじゃなくて、いつもお話しできたらいいのに・・
「藍ちゃんは何か買う?」
「い、いえ、私は特に大丈夫ですよ」
 最近かなり濃い本を読みましたし・・・・
「じゃあ、さっさと探してくるね。待たせちゃ悪いから」
「大丈夫ですよ。時間かかっても、ちゃんと待ってますから」
 心の底から本気でそう言いました。今の私なら、夜通し待たされても平気な気がします。
「ふふ・・・」
 利里さんが少し顔をにやけさせました。そして私の頭に・・
ぽんっ
 手を置きました。
「・・え・・・・・・」
「ほんと・・藍ちゃんはいい子ね」
「り・・利里さん・・いきなりどうし・・・」
「なんでもないわ。じゃあ、ちょっと待っててね」
 ・・・な・・なんだかいつもと違うような・・・まさか本当に・・・いえいえ!そんなはずないですよね!さっきのを除けば特に変な所はありませんでしたし・・・でも仮にそうだとしたら・・・・・
 反射的に作られた妄想の中。藍ちゃんが、優しい口調で私に語りだしました。
「藍ちゃん。本当に大好き」
 そして優しい目で私を包み込みながら・・両手で私を抱きしめて・・
「ずっと・・こうしていられたらいいな・・・」
「・・・私もです・・・・」
 って!私はまた何を考えて・・
「・・・どうかしたの?」
「へゃい!」
 妄想の中に現実の声が降り注ぎ、私は何とか正気を取り戻しました。
「ほ・・本は買えましたか?」
「うんまあ・・・体調でも悪いの?いつもと比べて動きがおかしいし・・・」
「いえいえ!何ともありません!」
 何とか繕います。ばれたら一貫の終わりですし。
 その後は何とかおかしいところを作らずに済み、いつものように当たり障りない
話を続けることができました。そしてあっという間に私たちの家がある住宅街です。
時刻は夕暮れ。綺麗なオレンジ色があたりをキラキラと照らしています。
「・・ねえ。公園に寄ってみない?」
 あと少しで家に着くというところで、いきなり利里さんが謎の提案を出してきました。
「はい。いいですけど・・・」
 私は軽い気持ちで許諾し、利里さんと一緒に左に曲がるところを右に曲がりました。
その後は少し坂を上り、特に問題無く公園に到着。もう夕方なので、遊んでいる方は
誰もいません。
「がらんとしてますね。もう夕方ですし」
「そうね・・・」
「でもどうしていきなり公園に来たんですか?」
 ふと思った疑問を軽く聞いてみました。
「今の時間帯なら・・・ここには誰もいないって思ったからよ・・」
「え・・?」
 私が一言言い終わるか終らないかの刹那。利里さんは私を見つめ・・・そして
がばり!と私を抱きしめました。
「藍ちゃん!大好き!」
 え・・・・・・・・・・・・・・・
「えええええええええええええ!」
 そして冒頭に至ります。

 とりあえず何とか利里さんを落ち着かせ、私達は一旦近くのベンチに座りました。
まだ引っ付いたままですが。
「利里さん・・・座りにくくないですか・・」
「いいじゃない。こうしてたいの!」
 数時間前までの利里さんが嘘のようです。子供の用に私に甘え、べたべたべたべたと
触れてきます。ここまで人を変えてしまうなんて・・・あの本はどうやら本物だったのでしょうか?
「ねえ藍ちゃん」
 耳元で利里さんの声が静かに響きます。
「は、はい・・」
「私の事好き?」
「っ!げほっ!・・げほ!」
 一瞬口から火でも咳き込んだのかと思いました。
「ええええと・・・そそそそその・・・・」
「言って♪」
 ど・・どうしましょう・・・今の利里さんは正気じゃないですから、多分
何を言っても覚えてはいないとは思いますが・・覚えていたとしても、「そういう意味ではないので、安心してくださいねー」と言えば万事解決です。ですが・・・やっぱりかなり恥ずかしい・・・で、でもこういう時でないと「好き」なんて自白剤飲まされても
言えませんし・・
「ええと・・・・・・・・・・・・好き・・・です・・」
 何とか言いました。頭からマグマが飛び出そうでしたが。
「ちゃんとー・・あ・い・し・て・るって言ってくれない?」
 うわあ・・・逃げ道が・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・愛してます・・・・」
 うう・・明日から利里さんに会ったら、どうしたらいいのでしょうか・・
「ふふ。嬉しいな。私も・・愛してる」
 再び利里さんが、私を抱きしめる力を強めます。淀みない笑顔を見せて、本当に
幸せそう。私も嬉しい・・のですが・・・これ以上こんなことをされ続けたら、頭が
どろどろになってしまいそうです。幸せすぎて何も考えられなくなる、というやつです。早くいつもの利里さんに戻さないと・・・・でも・・どうやって元に・・・
「ふふふ・・・」
 わずかに残った正気で解決案を模索していた私の頭を、利里さんがいきなり両手で
ガッチリと掴みました。
「・・はい?」
そして掴んだ手をゆっくりと私の頬に移動させて・・
「藍ちゃん、顔真っ赤ね。夕日でごまかせないくらいに」
 そして少しずつ利里さんの顔がこちらに・・・って!これってキスされる!
「え、ま、まってくだ・・・」
 なんて言っても止まるはずがありません。目が本気です。正気を保っている目ではありません。
(・・・・・・・あ・・・・・)
そう、正気を保っている目ではありませんでした・・・・・・・私のせいで・・・・
私は体内に黒い砂が舞っているような気分でした。私が生み出した罪が、じゃりじゃりと私の中を駆け巡り、私の内側をズキリとを傷つけます。私は・・・なんて最低な事を・・・
「・・・ごめんなさい」
 私はゆっくりと手を突出し、利里さんを止めました。
「・・どうして?私達、恋人同士でしょ・・・?」
 違うんです・・・私達はそんなに近い関係じゃない・・・そして・・私はこんな事に
なって欲しかったわけじゃない・・ただ単に・・・
少しでも利里さんの近くに行きたいだけだったのに・・・こんな風に操って望みを
叶えても気持ちは全然満たされないって、誰でもわかる事なのに・・・
「利里さん・・・ごめんなさい」
 何も知らないかわいそうな利里さんが、不安の目で私を見つめます。
「私・・・・今度はちゃんと・・・正面から利里さんとお話しします。・・・ちゃんと
正面から・・・・愛してるって言います・・・・だから・・・今は・・・キスは
しちゃダメです・・・・こんなの・・今の私はもらえません・・・」
「・・・私・・・嫌われた・・?」
「違います!好きです!好きだから・・・・」
 緊張と照れでかなりぎりぎりな状態でしたが、何とか最後の言葉を伝えます。
「・・・・・・私がちゃんと利里さんに向き合えるまで・・・キスなんてしちゃダメです・・・」
 私は罪悪感と極限状態が交じって泣いてしまいそうでした。きっと情けない顔になって
いるのでしょう。こんなみっともない姿見せて、また利里さんと離れてしまったでしょう。
自業自得ですけど・・・・
「・・・・・・」
 私の思いの一部始終を見終えた利里さんは、先程までのデレデレした顔
ではなくなっていました。真面目な顔で私を真っ直ぐに見つめています。と思っていたら、急にさりげなく笑みを見せ、
「藍ちゃん。ありがとう」
 何故かお礼を言いました。
「・・今日はもう帰りましょうか。続きは・・また今度ね」
 利里さんは私を開放し、ベンチから立ち上がりました。夕日に照らされたその姿は、
より一層凛々しくて綺麗でした。
「見とれてないで、帰りましょう」
「あ、はい」
 こうして、今日は何事もなく無事に平和に一日を終えました。
(・・・・利里さんを早く元に戻しましょう。でも・・あの本に戻し方なんて
ありましたっけ・・・)
 明日から・・普通に戻せるでしょうか・・・?


 ジー・・
部屋にモニターの作動音が伝う。
「うーん・・・やっぱり無い・・・」
 そのモニターの向こうからは、悪戦苦闘する少女の声が響いていた。見た目が幼く、
性格もおとなしそうな少し弱気な少女の手には、不釣合いなゴツくて真っ黒な本が握られている。少女はそんな怪しげな本を、狂ったようにまじまじと一文字も逃さない勢いで
読み続けていた。その可笑しな様子を私が見ているとも知らずに。
「ふふふ・・・・」
 思わず笑みがこぼれてしまう。こんな愛らしい姿を見たら、誰だって笑みがでてしまう。
「ほらほら。頑張って魔法を解く方法を探さないと。そうしないと・・今度は本当に
キスしちゃうよ〜」
まあ、あの本にそんな効果無いのだけれど。あれは最近物好きな著者が書いた、
魔道書まがいの魔法辞典みたいなものだ。当然、書かれていることを実行しても
何の奇跡も起こらない。たとえ本物だったとしても、藍ちゃんが私にチャームの魔法を
かけることは不可能だ。だって・・・前から好きなのだから。
少しお話しただけなのに、嬉しそうに顔をほのかに赤らめて・・・・私の歩いた後を
トコトコとカルガモの子供のようについてきて・・・そして私の為に一生懸命に
なってくれる。こんな子を愛おしいと思えない方がおかしい。
「それにして、ここまで上手くいくとは思わなかったわ」
私がやったことといえば、図書館であの本を借りて、あのページに癖をつけて、わざと藍ちゃんの前で返しただけ。それだけで、ハグとニアキスまでできちゃった。おいしい。
「今日は記念日ね。初イチャ記念日。今度は何をしようかしら?ふふふ・・・」
 私はモニターの藍ちゃんを指でゆっくりとなぞった。
「うう・・・このままじゃ明日から利里さんに顔向けできません・・・・」
私の計画も行動も何もかも知らない藍ちゃんは、未だ狂ったように
本にかじり続けている。
まるで魔法をかけられたかのような勢いで。



ほのかな @honohonokana



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