現在、わたしは受験生。
勉強に集中するために、一人暮らしをしているお姉ちゃんの家にしばらくお邪魔させてもらっている。
家からは余計なものを一切持ってきていない。
妹「……あ、そろそろだ」
時刻は深夜近く。
決まってこの時間に、わたしはラジオをカバンから取り出す。
ラジオは余計なものじゃない。
ちょっとした息抜き、お気に入りのラジオ番組を三十分間聞くだけだ。
妹「よいしょっと……」
机にラジオを置き、お気に入りに登録してある周波数に合わせる。
別に、ラジオが好きなわけじゃない。
ただ、友達に教えてもらったラジオ番組を初めて聴いてから、毎日欠かさず聴くようになっちゃっただけ。
妹「あ、始まった」
ラジオから聞き慣れたBGMが流れる。
しばらくBGMが流れた後に、声が続く。
『こんばんは、全国の妹さん、お姉さん。 今宵も、しすた〜ず・ラジオの時間です』
しすた〜ず・ラジオ。
「しすた〜ず」は平仮名で、伸ばし棒は波線で表記する。
通称、シスラジ。
略すとカタカナをなぜか使う。
全国の姉妹を持つ女性に大人気のラジオ番組だそうだ。
友達に勧められて聴き始めたものの、わたしもすっかりハマってしまった。
番組の内容は単純だ。
リスナーからの質問や悩みなどを読み上げ、それに答えていく。
ただそれだけ。
その質問内容やアキ(番組のMCさん)の答えにすごく共感できたりして、気づいたら聴き入ってしまっていた。
『うん、今日はお便りがたくさん来てます。 みんな、ありがとね〜』
ラジオから、穏やかな声が流れる。
どこかわたしを安心させてくれるような、声。
わたしはこの声が好きだった。
受験勉強で張り詰めた緊張を、やんわりとほぐしてくれる。
『最初のお便りはー……「妹さんは好きですか?」 ですかー。 何度も言ってる気がしますけど、大好きですよー!』
『最近はすっごく忙しくしてるけど、頑張って支えてあげなきゃって思います』
『ではでは、次は……「妹さんは出演しないんですか?」 そうですね、出演させたら面白そうだなぁ』
このラジオ番組を、何をするわけでもなく、ただぼーっと聴くだけ。
それだけで、あっという間に三十分は過ぎてしまう。
『……あら、そろそろ時間ですね。 今夜も聴いていただき、ありがとうございました! 皆さん、姉妹を大切にね!』
始まった時と同じ、聞き慣れたBGMが流れて、番組が終わった。
妹「……よし、もうちょっと頑張ろう」
そしてまた、勉強を再開するのがわたしの日課だった。
──────────────────────────
妹「ふぅ、今日はここまでにしようかな……」
テキストを閉じたと同時に、家のドアが開く音がした。
歩く足音が、わたしがいる部屋の前で止まる。
ノック音がした。
妹「どうぞー」
がちゃ、とドアが開いて。
姉「妹、ただいま!」
お姉ちゃんが現れた。
妹「おかえり、お姉ちゃん」
お姉ちゃんはいつも、真夜中に帰ってくる。
お仕事の都合でそうなるらしい。
わたしは、お姉ちゃんがなんの仕事に就いているのかは知らない。
気になるけど、なんとなく聞くのが憚られる気がして、聞けなかった。
姉「んー、今日も疲れたよーう……」
言うやいなや、わたしに抱きついてくるお姉ちゃん。
妹「お疲れさま」
姉「ふへへぇ、妹のにおいー」
妹「ちょっ、かがないでっ」
姉「なんで? いいにおいだよ?」
妹「わたしが恥ずかしいのっ!」
姉「私はかいでたいもーん……ふんふん……はふぅ」
わたしのにおいをかいで、満足気な表情をするお姉ちゃん。
……強烈に恥ずかしいんですけど。
姉「勉強、今日はもう終わり?」
妹「うん」
姉「そっか。 何か食べる?」
妹「ううん、太っちゃうから」
姉「食べないとおっぱい育たないぞ〜?」
妹「うるさいよっ!! どうせ食べてもお腹周りに行くだけだもん!!」
姉「はいはい。 じゃ、もう寝るの?」
妹「そのつもり」
姉「そっかそっか。 んじゃ、おやすみ」
妹「おやすみなさい」
ぽむぽむとわたしの頭を軽く叩いて、お姉ちゃんが微笑んだ。
そのまま、少しの外の香りを残して、部屋から出て行った。
──────────────────────────
布団に入り、考える。
このままで、わたしは本当に希望する大学に合格することができるのだろうか。
現段階では、ギリギリ合格ライン。
もう少し、余裕が欲しい。
けれど、残された時間は少ない。
妹「……頑張らなきゃなぁ」
睡眠時間を、削ってでも。
──────────────────────────
翌日、目が覚めると、すでにお姉ちゃんの姿はなかった。
朝早くに仕事へと行ったようだ。
用意されていた朝食を食べ、勉強に入る。
受験の日は近い。
ひたすら勉強に打ち込んでいたら、いつの間にか外が暗くなっていることに気がついた。
妹「うぎゃ、晩ごはん食べなきゃ」
用意されていた夕飯を温めて食べ、勉強に戻る。
今日はかなり集中できる日だ。
スラスラと問題を解くことができる。
姉「妹〜……?」
妹「……? ……っ!?!?!!」
ベッドの方から声が聞こえてそちらを見ると、お姉ちゃんがベッドに腰掛けていた。
すっごくびっくりした。
妹「な、なっなっ、なんでここに!? いつからここに!?」
姉「なんでって……帰ってきたからだし、今から三分前くらいにはいたし」
妹「えっ?」
時計を見る。
すでに二時過ぎ。
いつもなら寝ている時間だ。
それに、なにより……。
妹「あ……ああああああーーっ!!」
姉「わっ、びっくりしたっ」
妹「あああぁぁぁぁ……」
がっくりと机に突っ伏した。
姉「な、なに? どうしたの?」
妹「きけなかった……」
姉「なにを?」
妹「シスラジ……きけなかった……」
姉「シスラジ……」
まさか、こんなにも時間が経っていたなんて。
全然気がつかなかった。
妹「うぅ……集中してたし、しょうがないかなぁ……」
姉「……」
そうだ、一日逃しただけだ。
また明日、聴けばいいんだ。
姉「もう、今日の勉強は終わり?」
妹「んーん、もうちょっと頑張る……」
姉「でも、いつもなら寝てる時間だよ?」
妹「今日はもうちょっとやってから寝るよ」
姉「無理しちゃ、だめだよ? 寝ることだって大事なんだから」
妹「でも、受験も近いからさ」
姉「……妹、頑張りすぎ。 無理しすぎ。 たまには休まなきゃ」
妹「だから、時間がないんだってば」
姉「……」
お姉ちゃんが少し怒ったような目で、わたしを見つめた。
姉「……無茶して、体壊さないようにね」
妹「うん、わかってる」
──────────────────────────
……………………。
…………。
……。
妹「……はっ!?」
起き上がる。
明るい外からは、小鳥の鳴き声が聞こえる。
妹「うわっ、うわわっ、寝てたっ!?」
妹「うわあうわああ……」
妹「……」
妹「……ん?」
……起き上がる?
妹「なんでわたし……ベッドで寝てるの?」
遅くまで勉強してて、そして、そのまま机で……と思ったのに。
妹「まさか、自分でベッドまで移動したとか……?」
妹「……はは、情けないなぁ、わたし……」
妹「……朝ごはん、食べよ」
リビングに行って、テーブルにつく。
朝食とともに、書置きが添えられてあった。
────────妹へ
────昨日、机で突っ伏して寝てるのを発見して、ベッドまで運んじゃいました。
────無茶しちゃだめって言ったのに。 妹の、バカ。 それで風邪ひいちゃったりしたらどうするの。
────どんなに頑張って勉強しても、風邪ひいて受験できなかったら、無駄になっちゃうんだよ?
────頑張るな、とは言わないよ。 でも、頑張りすぎないで。
────適度に休憩しながら、睡眠もしっかりとってください。
────あと、今日は着替えといてね。
────────姉より
妹「……ごめんなさい、お姉ちゃん」
お姉ちゃんに、迷惑をかけてしまった。
それでなくても、居候なんてことをしてしまっているのに。
妹「適度に休憩……うん、心がけないと」
気持ちを新たに、朝食を片付けて勉強に入った。
──────────────────────────
その日の夜。
いつもどおりわたしは勉強をしていた。
妹「シスラジまで三十分くらいか……もうちょっと頑張ろっと」
時計を確認して、テキストに視線を戻した瞬間。
姉「妹ー!」
突然、お姉ちゃんがドアを開けて現れた。
妹「お、お姉ちゃん!? は、早いね……?」
姉「うんうん、着替えてるね。 さ、行くよ!」
妹「へっ? わ、わわわっ!」
お姉ちゃんに手を引かれて、玄関へと連れてかれる。
姉「靴、履いて」
妹「でも」
姉「いいから」
妹「は、はい」
言われた通りに、靴を履いた。
姉「よし、行くよ」
再び手を引かれ、家の前で待機していたタクシーに乗り込まされた。
妹「お姉ちゃん、どこいくの?」
姉「着くまで、内緒」
妹「うぅ……」
今日も、シスラジ聴けないなぁ……。
そんなことを考えてたら、目的地へと辿り着いた。
妹「ここ……は……?」
姉「行くよ!」
またまた手を引かれて、建物の中に入る。
姉「おっと、忘れてた。 はい、これ」
妹「なにこれ?」
首から何かを下げられた。
入場許可証……?
姉「部屋は二階だよ。 急がなきゃ間に合わないから、ちょっと走るよ?」
妹「え? う、うん??」
言われるままに駆け出す。
すれ違いざまに見る看板のようなものから察するに、どうやらここはテレビ局のようだ。
階段を駆け上がって二階に到着し、表札のない部屋の前で止まる。
姉「ここだよ」
妹「こ、ここだよ、って……?」
姉「ふふっ……」
お姉ちゃんが微笑んで、ドアを開けた。
妹「……ここ、は」
そこは、テレビとかでよく見る、ラジオの収録現場だった。
机の上にはマイクが二つ置かれていて、その机の横の壁は大きな窓がついていて、その窓の向こうの部屋には機材と思わしきものがあったり、ヘッドホンマイクをしている人がいた。
姉「オッケーでーす」
お姉ちゃんが、窓の向こうの人に両腕で○サインを送った。
向こうの人も、○サインを送ってきた。
姉「始めるよ、妹。 これ着けて」
お姉ちゃんから、ヘッドフォンを渡された。
それを装着し、お姉ちゃんの向かい側の椅子に座った。
3、2、1……と、男の人のカウントダウンの声が聞こえた。
妹「あ……」
ほどなく、聞き慣れたBGMが流れ始めた。
シスラジのBGMだ。
そして……。
姉『こんばんは、全国の妹さん、お姉さん。 今宵も、しすた〜ず・ラジオの時間です』
お姉ちゃんの声が、流れた。
聞き慣れた、声。
わたしの心を落ち着かせてくれる、優しい声。
わたしに微笑みかけながら、お姉ちゃんが続ける。
姉『今夜は、ビッグなゲストさんに来ていただいてます。 私がアキだから、そうですね……』
姉『……ナツ! 私のかわいいかわいい妹、ナツに来てもらってまーす!』
妹「!?」
お姉ちゃんが笑顔で、「なにか喋って」と書かれた紙をわたしに見せた。
妹『え、えっと……こんばんは……?』
状況がうまく飲み込めない。
ここはラジオの収録現場で、今やってるのはシスラジで、お姉ちゃんがそのMCやってて、わたしがゲストで呼ばれて……??
姉『ふふっ、初々しいですねー。 かわいいでしょ? 私の自慢の妹です』
姉『今夜は、サプライズのつもりで何も言わずに連れてきたんですよー。 びっくりしたでしょ?』
お姉ちゃんが微笑んで、わたしに尋ねてきた。
妹『そりゃもう、すっごくびっくりしたよ。 なにか一言言ってよ!』
姉『あはは、ごめんごめん。 びっくりさせたくって』
姉『さてさて、今夜は私とナツの二人で、質問に答えていきたいと思いまーす!』
──────────────────────────
姉『ではでは皆さん、今宵はこの辺で。 姉妹を大切にね! ありがとうございました!』
三十分後。
例のBGMが流れて、番組が終わった。
窓の向こうの人が、○サインを出している。
姉「ふぅ……お疲れさま、外していいよ」
妹「ん……はふぅぅ、緊張したぁ……」
──────────────────────────
その後、窓の向こうにいた人……スタッフさんたちと少し話をして、テレビ局を出た。
再びタクシーに乗り込み、家の前に着いた。
姉「今日はありがとね」
妹「わたしは何もしてないけど……でもほんとに、一言欲しかったなぁ」
姉「ごめんってば〜……あ、そうだ」
妹「え?」
姉「お気に入りのお店があるの! 来て来て!」
妹「へっ? わわわわわあぁぁぁっ!!」
またまた手を引かれて走り出し、今度は近くの居酒屋さんに連れてかれた。
店内は時間が時間だからか、お客さんはいなかった。
店長「らっしゃい。 おっ? 珍しいねぇ、姉ちゃんがお連れさんを連れてくるとは」
姉「ふふっ、この子はね、私の妹なの!」
妹「こ、こんばんはっ」
店長「へえ、姉ちゃんよりもしっかりしてそうじゃないかい」
姉「そんなことないよ!」
妹「よく言われます」
店長「だ、そうだが」
姉「ちょっと!? 妹!?」
妹「だってほんとじゃん」
姉「ちがっ、わっ、私がお姉ちゃんなんだからね!!」
店長「がっはっはっ! して、姉ちゃん、注文はどうする?」
姉「いつもの! ……と、オレンジジュースでいい?」
妹「うん」
姉「じゃ、お願い」
店長「あいよ」
店長さんがビールをグラスに注ぎ、別のコップにオレンジジュースを注いでわたしたちに渡した。
店長「へい、まずは飲み物な。 これでも食べて待ってな」
ピーナッツが盛られたお皿も一緒に渡された。
妹「お姉ちゃんは、このお店によく来るの?」
姉「うん。 毎日ってわけじゃないけどね」
店長「すっかり常連さんになっちまってよぉ」
姉「シスラジの収録が始まってから辺りかな? ここに通い始めたのは」
妹「へえ……って、そうだ」
ずっと、言いたかったことがあったんだった。
妹「お姉ちゃん、シスラジのMCやってたの!?」
姉「ふふっ、うん、やってたよ」
店長「それだけじゃねえさ、いろんなラジオ番組にも出演してるんだぜ?」
妹「し……知らなかった……」
姉「言ってなかったからね〜」
お姉ちゃんがピーナッツを口に放り込み、ビールを飲んだ。
姉「ぷは〜っ! 仕事終わりはこれに限るねぇ」
妹「……お姉ちゃん、オヤジ臭い」
姉「失礼なっ!!」
店長「ここに来てる時点で、もうアレだな」
姉「おじさん!?」
妹「まったく、お姉ちゃんにはもうちょっと女性らしい振る舞いを……」
店長「持ってるモンがあるのに、磨かないのはいもったいねぇぜ?」
姉「くっ……二人共、私をバカにして……」
姉「いーよもう、今日はとことん呑んでやるっ!! ナツの出演祝いも兼ねて!!」
妹「呑みすぎは良くないよ!?」
姉「知らないっ!」
お姉ちゃんがグラスを勢いよく呷った。
ああ、今夜は長くなりそう……。
──────────────────────────
姉「ふへえぇぇえぇ……」
妹「お、おねえちゃーん……」
ぐでんぐでんに酔っ払ってしまった。
妹「もう限界かな……すみません、勘定お願いします」
店長「帰るかい? お代はいいぜ、今日は奢りだ」
妹「え? でも……」
店長「めでたい日なんだろ? 姉ちゃんがこんなになるまで呑んだのは初めてだ」
妹「そうなんですか?」
店長「いつもは二杯くらいで帰っちまうな。 『妹が待ってるから』だとよ」
妹「お姉ちゃん……」
姉「んにゅぅ……」
店長「いい姉ちゃんを持ったな、嬢ちゃん」
妹「……はい。 自慢の、姉です」
店長「くくくっ……そうかいそうかい! これからも仲良くな! この奢りはその投資とでも思ってくれ」
妹「はい、ありがとうございます」
店長「うむ。 どうする? タクシーでも呼ぶかい?」
妹「いえ、大丈夫です」
店長「そうかい。 んじゃ、また来るといいさ。 酒はまだ呑ませてやれねぇけどな!」
妹「はい、ぜひまた来ます。 ありがとうございました!」
お礼を言って、お姉ちゃんを支えながら店を出る。
姉「んぅー……風がちべたい……」
妹「もう、飲みすぎだよ」
姉「らってぇ……いもーとといっしょにでれたのが、うれしくてぇ……」
妹「……もう」
お姉ちゃんを支えつつ、歩き出す。
家までは、そう遠くはない。
姉「……ね、いもーと」
妹「なーに?」
姉「また、一緒に出てくれる?」
はっきりとした声で、尋ねられる。
妹「うん、わたしも出たい。 お姉ちゃんと、一緒に」
姉「……! ……そっか」
姉「……そっか、そっかそっかぁ……えへへ……」
妹「やっ、ちょっ、抱きつかないでっ、歩けないでしょっ!」
姉「んー、いもーとだいすきー……」
妹「大好きなのはわかったから! わかったからはなれてえぇぇ!」
姉「やーだーっ、はなれたくなーい!」
妹「おうち着いたら相手してあげるから! だから、ちゃんと歩いて!」
姉「……むぅ、しょうがないなぁ」
再びわたしがお姉ちゃんを支えて、歩き出す。
何気なく空を見上げると、無数の星がまたたいていた。
──────────────────────────
お姉ちゃんとわたしの共演は、大盛況だったようだ。
某SNSのアカウントにも、また共演して欲しいという要望が殺到しているらしい。
そのことを、お姉ちゃんは嬉しそうに話してくれた。
姉「また、一緒に出られるね」
妹「うん」
姉「迷惑じゃない? 大丈夫?」
妹「全然。 いい息抜きになるし、楽しいし」
姉「ふふっ、よかった」
また、お姉ちゃんと一緒にラジオに出られる。
お互いに微笑み合って、ヘッドフォンを着けた。
今宵も、しすた〜ず・ラジオ、始まります。
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